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文学フリマという5月6日にあった文学系のイベントに出店した。
どうあってもそのイベントには出なければならないと、去年申し込みをした時から強迫観念じみた焦りを感じていた
「(今書かなくては、今後一切書けなくなる。書き切れなかったことがまだまだある)」というようにだ。
僕は4年ほど前から詩を発表し続けているが「やめ時」とういうものを書き始めた頃から意識していた。「自分の詩が読むに堪えないと思うようになったとき」「満足してしまったとき」の2つだ。
どちらにも該当していない。まだ、書くべきことがある。自分の思想を、鬱屈した感情を、脳がスパークするときに出る思いもよらない言葉を、全てを書きたいと、そう思った―
去年夏頃、共同で出店する確認を友人にしたあと、直ぐに絵師のほしたろうさんに詩集の表紙絵を描いてもらえないかと依頼した(ほしたろうさんはしばらく考えたあとに受けると言ってくれたと記憶している)
これで逃げられなくなった、9ヶ月程の、良く言えばゆとりがある、悪く言えば執行猶予期間の長い締切に追われることになった。
書き溜めに余裕はあった。
書きたい主題も最初から決まっていたので、のんびりやればいいと、メモ帳に思いついたフレーズを書き留めるだけの日々がしばらく続いた。
年も過ぎ、さあそろそろまとめださなきゃな、となった時にピタリ。と、筆が止まってしまった。
何も書けない。理由もわからない。熱意が冷めたわけではない。
気持ちだけが逸る。酒が足りないのか、薬が足りないのか、インプットが足りないのか。
どれを試してもだめで、絶食もしたがあまり効果はなかった。
これは今になったからわかることなのだけど、この時の僕に足りていなかったのは僕が使おうとした「書き溜め」への理解だった。
この書き溜めというのは、googleドキュメントをメモ帳代わりに使っているのだが、実は高校生の時から同じドキュメントを使いまわし続けている。
僕は詩集をまとめるとき、だいたいこのドキュメントから抜き出して校正に入るので、脱稿したときにはこのドキュメントから原稿分がごっそりなくなる、ということになる。
つまり、このドキュメントに残されたデータは原稿に載らなかったボツ案、ということになる。
形にしたくてもできなかった言葉、残されたまま形を与えられることなく眠っていた言葉。
そういう言葉たちへの理解が足りていなかった。
僕は以前このブログで「過去の自分は今の自分と同じとは思えない」という話をしたが、まさしくそのことが問題となっていた。
この論でいけば、僕は過去の自分の文章を見ても共感できない。実際、できなかった。
苦しそうな、悲痛な叫びでありながら怒りが渦巻いているのは文面から読み取れる。だが、その時の脳の状態をロードすることなんてできない。一体、彼は何に怒っているんだ―
文章をまとめるためには過去の自分自身と対話する必要があった。
僕はできるだけ、当時書いていたときの状況に近い環境で作業しようとしていた。
ラップトップ一台があって、そいつでドキュメントをトップに表示する。コーヒーを深夜に呷る。音楽をたまに聴いては止め、タバコを吸う。
口に出して読んでみる。
話が脱線するが、僕は音読が好きだ。小学生の時は恥ずかしがりのくせに国語の時間の音読は楽しみだった。中原中也に触れてからは詩を口に出して読むというのが単なる「音読」というのとは違う、特別なものとして感じるようになった。
寺山修司は、
「活版印刷の発明は詩人に猿轡を嵌める行為だった」
と言っていたと思うが、本当にそのとおりだと思う。テキストだけで生まれた詩はきっと未熟児になってしまう。口を通り初めて、生を吹き込まれるのだと思う。
そんなことを考えながら「夜をやり過ごす」と始まる書きかけの詩を朗読してみた。
夜をやり過ごす
真空の中で息を潜める
目だけの動きで文字を追う
夜をやり過ごす
眠れないならとコーヒーを呷る
夜明け前の闇はブラックコーヒーよりも黒で
夜をやり過ごす
ブランデーで喉が焼ける
夜をやり過ごす
思い出す思い出すあの人を思い出す
夜をやり過ごす
不意に襲う愛おしさから逃げ出す
夜をやり過ごす
いっそ朝日が体を焼いてくれるなら!
ブランデーで喉が焼ける までしか書いてなかったのだが、音読しているうちに言葉が止まらなくなった。
気付くと僕は、「夜をやり過ごす」と口に出していた。
言葉は続く。「思い出す思い出す!あの人を思い出す!」言葉が勝手に漏れ出ていた。止まらずに何行もの詩が口から飛び出してくる。
どうしようもない悲しみや無力さ、やり場のない怒りが襲いかかる。
これだ、この感覚だと、ようやく昔の感じていたことを思い出せた。
同じやり方で何本か詩ををまとめた。スランプからはなんとか抜け出せた。
組版作業にもそれなりに苦労はしたのだが、一番疲れたのはいざ製本をするとなった時の金欠さだ。
お金がなければ本は刷れない。(今回は幸運なことに援助してくれる方が居たが)
しかし、そうこうしている間にGWに入りほとんどの印刷所が閉まってしまった。
そこで、同人作家の駆け込み寺のようになっているコワーキングスペースのようなところに泣きついてなんとか仕様を確定させ、働かない脳みそに鞭打って、その日のうちに印刷直前に表紙絵の文字配置に問題が発覚したので血眼になって修正したり、20冊の詩集をフラフラになりながら裁断したりした。
そのビルを出るとまだ雨は降っていたので、傘をさしながら「(詩集だけは守らなくては)」と二重になったビニール袋を胸に抱き、銀座線の地下ホームへと足を急がせた。
スマートフォンを見るとTLは改元のニュースで持ちきりだった。
「(平成は終わるけど原稿は終わらない…)」なんて弱音を吐いていた朝が遠い昔の事のように感じられた。
ただ、平成の中でしか生きることができないと思っていたいた僕が、平成の中でもがきながらも生き、平成の最後の日が詩の発行日となったことはなにか感慨深いものがある。
元号が変わるときは、僕は電車の中に居た。
平成は、地下鉄の発車音と共に終わった。
僕が詩集を出すのはこれで最後になるだろうと、当たり前のことを確認するみたいに思った。
文学フリマ当日は、疲れてはいたし眠さは常にあったが、いろんな方が遊びに来てくれたりしたのとても楽しかった。
やはり手渡しで詩集を売るというのはオンラインで公開するのとは全く違う感覚がある。読み手の存在を認識、意識することはネットではほとんどないから。
直接褒められるとなんだかむず痒い気持ちにもなるが、これも醍醐味かと思う。
何より、打上げでのお酒と肉は、この世の何よりも美味しい。これのためにイベントに参加しているようなものだ。
助力頂いた全ての方と読んでくれた人に感謝を。僕は今後書き下ろしの詩集は出しません。
が、詩人をやめるわけではないし、また何かの機会にどこかで僕の言葉を発表する機会はあるだろうと思っています。それまでは、僕の詩がどこまで届くのか、見守ろうと思います。
それでは、また。