チラシの裏、荒野。

言葉の人間 言葉を使い果たすまで

昨日の俺に聞いてくれ

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アルバムの中で無邪気に笑う5歳の僕は、本当に僕なんだろうか? 小学生くらいの頃からその違和感に気が付いていたが「きっとよく覚えていないから実感が湧かないんだ」と幼少期特有の曖昧な記憶の問題として片付けていた。

でも、この年齢になってからどうやらそれだけではないらしいということが分かってきた。 これは確たる証拠があっていう訳じゃないが、

人は同じ自分を生き続けられない

朝家を出てコーヒーを飲む自分と、帰りにタバコを吸う自分は別の人間だ。 これは時間の非連続についての物理学の話を持ち出すまでもなく、脳が神経細胞以外入れ替わるから別人になるっていうハードの話でもない。

単純に共感が持てないんだ 一致感とか一体感と言ってもいいかもしれない。

僕達の記憶は非常に曖昧だ。(昨日の晩御飯が思い出せない人もいるかも!) 僕達の(少なくとも僕の)記憶は自分を自分として感じられる品質の記憶を長期間保持できない。

記事を読んでいる方に一つお願いだ、自分の中で一番古い記憶を思い出してほしい。 君は今、何を感じている? 映像としての記憶は思い出されるだろう、後付されたエピソードも出て来るかもしれない(親に聞いたり自分で紐付けたり) じゃ、質問しよう。 その時見てた物とかその時感じてたことを思い出せるだろうか?

―少なくとも僕は覚えてない。

じゃあ、いつからなら考えてた事とか見ていたもの話していた内容なんかを思い出せるんだろう?

今高校生の子は小学生の入学式の時、その日だけ話したクラスメイトの事と話した内容を覚えているだろうか? 大学生は中学生の時一瞬だけ流行った遊びを覚えているか? 社会人は学生時代何に悩んでどうやって解決を試みたのかその時の思考を思い出せるか?

―大体の人は無理だと思う。

僕達は危うい「なんとなく」の記憶を重要な自己の柱としている

ここまでは記憶の問題。

次に出る問題は、人の感情や思考は環境依存だっていうこと。

石抱きの刑の最中に明日のデートのことを考えてウキウキした気持ちになる人はいないし、最近悲しいことが全くないのにセンチメンタルな内容の文章を書くのは本当に難しい。

そして環境は変わる、環境が変われば感情や思考も自ずと変化する。

その時の感情や思考はその時にしか産まれない。再現が不可能な即興曲みたいなものなんだ。 障害になるのはこの2点。

人は以前のことなんて全然覚えてないし再現不可能な感情や思考なのにそれこそを自分たらしめるものだと思い込んでいる。

これって怖くないか? 

 

自分が自分だと言うことができなくなる不安定な状態に陥った時、人はどんな対策を立てるのか。

人は心理的に一貫した行動を取りたがる。ということは過去の「今と違う自分」は 非常に不都合な存在になる。

一貫した行動が不可能な場合、認識を歪曲し、記憶を改変することで過去と現在を調和させようとするかも知れない。

想像しづらいかも知れないけど、僕達は自分の人格をメタ的に捉えて、必要に応じてその修正を行うことがある。

例として「高校で進学校に入学し、スライド式の成績の低下によって真面目だった生徒がお調子者になる」とかが考えられる。

これは現在の人格の歪曲を行ってる。

過去の人格はどうやっても変えられないから、当時の自分のメタ認知を歪める。(実際は暗い性格だったのに)「友達は少なかったが明るいほうだった」とか美化を始める。

僕達はこうやって歪んだ認識のなかで暮らしている

これを虚構とは呼ばないけれど、完全な現実でもないだろう。

より現実らしいのはアルバムの写真1枚事に写る別々の僕だ。

 

時によって分断された自分。 不安定で無責任にも見えるかもしれない(その指摘は痛い)が悪いところばかりでもない。

 

僕は12歳の僕を他人だと思う。

記憶も朧気だし共感もできない

だが、一番世話になったのは彼だ。

彼に「よく仲間を作ってくれた」と感謝をする。バトンを持ち続けたことに敬意を払う。

他人ではあるが、他人だからこそ感謝することができる。

一番身近な存在だからこそ、彼に恥ずかしい所は見せられないと常に格好つける 。

彼には誤魔化しが効かないのだから――