チラシの裏、荒野。

言葉の人間 言葉を使い果たすまで

怒りと友達はお金にならない

最近何で怒ったか思い出してみてほしい
友達に約束をすっぽかされた?彼氏彼女が浮気をしてた?上司に理不尽に怒られた?あるいは親に?
人が怒るシーンは様々あるだろう。
でも、この記事ではもう少し繊細で厄介な怒りのことについて書きたい。


人はなんで怒る?簡単だ、自分が不利益を被るのは嫌だしストレスがかかるのも嫌だから強い意思表示をしなくちゃならない。
―本当に?
多分そればっかりじゃない。

時に、僕は自分の好きな人が馬鹿にされたり傷付けられたりしたとき、激怒する。
断っておくけど僕は対外的には温厚な人間だし、他人を信奉して執着する、所謂過激派的な人間でもない。(共感性は高いかもしれないけど)
ではなんで僕は他人の不利益なんかで怒るんだろう

それは好きな人っていう存在が厳密に他人ではないというのがあるだろう。親しい人を自分の一部と思う気持ちは誰にでもあると思う。
だが、好きな人は自分の一部でありながら他人なんだ。
悲観論に見えるかもしれないけど、僕は他人の気持ちは絶対に理解できないと思っている。
何に傷付いて何は平気か、僕達は相手の出すシグナルを読み取ってトライアンドエラーで経験をしていくことでしか好きな人のことを理解できない。
そんな、「自分の一部だけど理解できない」ものが傷付けられとき、僕達はどうなる?

痛みのレベルが分からないから最大値でストレスがかかる。
最大限の意思表示をする。
つまりブチ切れる。
これが好きな人が傷付けられてブチ切れる人のメカニズムだと思う

余談になるけど僕は好きな人のひどい自虐を聞くも好きじゃない。悪く言うのが他人であれ本人であれ、好きな人の悪口を言って欲しくないからだ。