チラシの裏、荒野。

言葉の人間 言葉を使い果たすまで

我、チラシの裏を見つけたり。

子供の時、新聞の中折広告のなかから何か書けそうなチラシの裏を探すのが好きだった。
そこに字や絵を書きなぐるのが何より楽しかった
チラシの裏は大きければ大きいほどいいし、できれば紙色は白で光沢紙ではない方が良い。大は小を兼ねるというし識字しやすいほうがモチベーションが上がるのだ。
僕のインターネット個人史はチラシの裏探しの歴史だと思っている。

2chmixiTwitter
2chmixiは書くこと熱中することはなく、むしろROM専に近い立場にいた(チラシの求人広告を読むのも好きだ)
が、Twitter、これは熱中した。
掲示板に近いUI、リツイートボタンをタップするだけで引用ができるシステム、馬鹿な高校生と天才のアカウントが一つの画面に同居してる、人の多様さに魅了されてしまった。
―気付いた時、あるアカウントでは詩を載せ、あるアカウントではリアルの友達とくだらないリプライを交わしあるアカウントではオフ会をしたりツイキャスで何時間にも渡って肉声を配信していた。
最高のオモチャが手に入ったと思った。僕の足元に広大なチラシの裏が広がってるように見えた。
そこが荒野なのか海の中なのか気にもしなかった

僕は今までブログを真面目に書いたことがない
いままでインターネットへの愛を書いているのに、である。
理由は様々だけど、一番大きいのは「訓練されていない書き方を公開する事がイヤ」というところだろう。
詩は昔からなんとなく書いていたしTwitterは口語の上短文だからそういった見られることに対する意識は低い。だから僕でも続いていたのだ。
対してブログは日記に近い形態だ、僕は日記を書いたこともなければ字数制限のないものを書くこともほとんどなかった。今もどこで「公開する」ボタンを押せば良いのかわからない。(この記事はどこで終わるのでしょう?)
そう、僕は全くの素人なんです>< (この顔文字を付ければ駄文も許されると思ってる)

半分は自己弁護になるかもしれないが、僕は素人のやることが好きだ。
文化祭で見るぎこちない動きのクラス演劇。クソコラ、同人誌、AVの素人モノetc.
作品の不完全さや、瞬間風速的に見せるプロを超える表現、当たりを引いた時のギャンブルめいた興奮が魅力的に感じてしまう経験は誰しもあるんじゃないか?
僕の書く文章にはそういう成分を少しでも入れていたい。インターネットの「おまえら」のためでもあるけど、何より僕自身が読んでいて楽しいものにするために。