チラシの裏、荒野。

言葉の人間 言葉を使い果たすまで

幕引きだけの人生なのか

人生が一つの舞台なら、大勢の人生が絡み合う文化もまた、りっぱな舞台だ。
僕はその舞台を見る時は決まって遅れて行って、たどり着いた時には幕は落ちカーテンコールの素の役者だけが見えるだけだった。

レイヴ、個人サイト、掲示板文化、ニコニコ動画、脱法ハーブ、浄化前の秋葉原・新宿。
僕がインターネットに初めてアクセスしたのが2005年とかだろう。当時はまだYahoo!サーチエンジンでは主力だったが、Googleの検索精度に押されていた印象だった。
ブラウン管のディスプレイ越しには子供にも分かる熱気があったし僕はその世界に夢中になった。
初めて秋葉原に行ったのも同時期だ、当時は露店が道路に出ていたし(もちろん売ってるのは綿菓子じゃなくてグレーなガジェット)上野から流れて来たらしいホームレス風のおじさんがいた。
人の多さに酔ったがそれ以上に大小様々な電子部品と看板替わりの電飾でハイになっていた。
いい街だった。
「だった。」もう過去の話だ
今の秋葉原はメイドが通りに立ち並び3mおきに甘い声で呼び止められる街になっている。
露店はもうないしホームレスもいない、メガネをかけジーンズメイトユニクロで身を包んだ判押しのオタクもいない。古くからのパーツショップはチェーン店の鎖で締めあげられどこかに姿を消した。
彼らはどこに行った?僕は幕引きに立ち会った

本当にクソだ。良いところでいつも終わる
そのクセ残り香だけはいつまでも残る
僕は文化を守れなかった上の世代を身勝手に批判する。僕には舞台によじ登る時間も与えられなかったからだ。
僕がその時舞台にいたらと、たらればを考えてしまう。

だが、「クソだ」と喚くだけでは僕は本当のガキになってしまう。チャンスはまだある
文化は滅び、再興する。
僕は自分の乗っかれるムーブメントを、文化を見つけたらその庇護者に喜んでなろうと思う。
もっとも、僕は近くの海の波の動きも読めず飛沫を被り、舞台でもマリオネットみたいだった訳だが。
いつか幕開けに立ち会えると信じて