チラシの裏、荒野。

言葉の人間 言葉を使い果たすまで

過去

新宿2丁目のカオスなダンスフロア、週末で多国籍な男たちで埋め尽くされたあの光景を僕は決して忘れないだろう。

酒の入った男たちが抱き合い、キスをして、抱き合い、酒を飲み煙草をふかしてその空間の合間に数年遅れのダンスミュージックが流れている。

人の熱気とダンスで皆汗ばんでそれがフロア全体を包み込んでいる。

意識が離れては戻りを繰り返して、僕も気づけば周囲と同じように光悦とした表情になっていた。ブラックとホワイトのキス、紫煙、音楽の振動、酩酊、酩酊。

Answer

文学フリマという5月6日にあった文学系のイベントに出店した。

どうあってもそのイベントには出なければならないと、去年申し込みをした時から強迫観念じみた焦りを感じていた

「(今書かなくては、今後一切書けなくなる。書き切れなかったことがまだまだある)」というようにだ。

 

僕は4年ほど前から詩を発表し続けているが「やめ時」とういうものを書き始めた頃から意識していた。「自分の詩が読むに堪えないと思うようになったとき」「満足してしまったとき」の2つだ。

どちらにも該当していない。まだ、書くべきことがある。自分の思想を、鬱屈した感情を、脳がスパークするときに出る思いもよらない言葉を、全てを書きたいと、そう思った―

 

去年夏頃、共同で出店する確認を友人にしたあと、直ぐに絵師のほしたろうさんに詩集の表紙絵を描いてもらえないかと依頼した(ほしたろうさんはしばらく考えたあとに受けると言ってくれたと記憶している)

これで逃げられなくなった、9ヶ月程の、良く言えばゆとりがある、悪く言えば執行猶予期間の長い締切に追われることになった。

 

書き溜めに余裕はあった。

書きたい主題も最初から決まっていたので、のんびりやればいいと、メモ帳に思いついたフレーズを書き留めるだけの日々がしばらく続いた。

年も過ぎ、さあそろそろまとめださなきゃな、となった時にピタリ。と、筆が止まってしまった。

何も書けない。理由もわからない。熱意が冷めたわけではない。

気持ちだけが逸る。酒が足りないのか、薬が足りないのか、インプットが足りないのか。

どれを試してもだめで、絶食もしたがあまり効果はなかった。

 

これは今になったからわかることなのだけど、この時の僕に足りていなかったのは僕が使おうとした「書き溜め」への理解だった。

この書き溜めというのは、googleドキュメントをメモ帳代わりに使っているのだが、実は高校生の時から同じドキュメントを使いまわし続けている。

僕は詩集をまとめるとき、だいたいこのドキュメントから抜き出して校正に入るので、脱稿したときにはこのドキュメントから原稿分がごっそりなくなる、ということになる。

つまり、このドキュメントに残されたデータは原稿に載らなかったボツ案、ということになる。

形にしたくてもできなかった言葉、残されたまま形を与えられることなく眠っていた言葉。

そういう言葉たちへの理解が足りていなかった。

 

僕は以前このブログで「過去の自分は今の自分と同じとは思えない」という話をしたが、まさしくそのことが問題となっていた。

昨日の俺に聞いてくれ - チラシの裏に荒野

 

この論でいけば、僕は過去の自分の文章を見ても共感できない。実際、できなかった。

苦しそうな、悲痛な叫びでありながら怒りが渦巻いているのは文面から読み取れる。だが、その時の脳の状態をロードすることなんてできない。一体、彼は何に怒っているんだ―

 

文章をまとめるためには過去の自分自身と対話する必要があった。

僕はできるだけ、当時書いていたときの状況に近い環境で作業しようとしていた。

ラップトップ一台があって、そいつでドキュメントをトップに表示する。コーヒーを深夜に呷る。音楽をたまに聴いては止め、タバコを吸う。

口に出して読んでみる。

 

話が脱線するが、僕は音読が好きだ。小学生の時は恥ずかしがりのくせに国語の時間の音読は楽しみだった。中原中也に触れてからは詩を口に出して読むというのが単なる「音読」というのとは違う、特別なものとして感じるようになった。

寺山修司は、

活版印刷の発明は詩人に猿轡を嵌める行為だった」

 と言っていたと思うが、本当にそのとおりだと思う。テキストだけで生まれた詩はきっと未熟児になってしまう。口を通り初めて、生を吹き込まれるのだと思う。

 

そんなことを考えながら「夜をやり過ごす」と始まる書きかけの詩を朗読してみた。

 

夜をやり過ごす

真空の中で息を潜める

目だけの動きで文字を追う

夜をやり過ごす

眠れないならとコーヒーを呷る

 

夜明け前の闇はブラックコーヒーよりも黒で

夜をやり過ごす

ブランデーで喉が焼ける

夜をやり過ごす

思い出す思い出すあの人を思い出す

夜をやり過ごす

不意に襲う愛おしさから逃げ出す

夜をやり過ごす

いっそ朝日が体を焼いてくれるなら!

 ブランデーで喉が焼ける までしか書いてなかったのだが、音読しているうちに言葉が止まらなくなった。

気付くと僕は、「夜をやり過ごす」と口に出していた。

言葉は続く。「思い出す思い出す!あの人を思い出す!」言葉が勝手に漏れ出ていた。止まらずに何行もの詩が口から飛び出してくる。

どうしようもない悲しみや無力さ、やり場のない怒りが襲いかかる。

これだ、この感覚だと、ようやく昔の感じていたことを思い出せた。

同じやり方で何本か詩ををまとめた。スランプからはなんとか抜け出せた。

 

組版作業にもそれなりに苦労はしたのだが、一番疲れたのはいざ製本をするとなった時の金欠さだ。

お金がなければ本は刷れない。(今回は幸運なことに援助してくれる方が居たが)

しかし、そうこうしている間にGWに入りほとんどの印刷所が閉まってしまった。

そこで、同人作家の駆け込み寺のようになっているコワーキングスペースのようなところに泣きついてなんとか仕様を確定させ、働かない脳みそに鞭打って、その日のうちに印刷直前に表紙絵の文字配置に問題が発覚したので血眼になって修正したり、20冊の詩集をフラフラになりながら裁断したりした。

 

そのビルを出るとまだ雨は降っていたので、傘をさしながら「(詩集だけは守らなくては)」と二重になったビニール袋を胸に抱き、銀座線の地下ホームへと足を急がせた。

スマートフォンを見るとTLは改元のニュースで持ちきりだった。

「(平成は終わるけど原稿は終わらない…)」なんて弱音を吐いていた朝が遠い昔の事のように感じられた。

ただ、平成の中でしか生きることができないと思っていたいた僕が、平成の中でもがきながらも生き、平成の最後の日が詩の発行日となったことはなにか感慨深いものがある。

元号が変わるときは、僕は電車の中に居た。

平成は、地下鉄の発車音と共に終わった。

僕が詩集を出すのはこれで最後になるだろうと、当たり前のことを確認するみたいに思った。

 

文学フリマ当日は、疲れてはいたし眠さは常にあったが、いろんな方が遊びに来てくれたりしたのとても楽しかった。

やはり手渡しで詩集を売るというのはオンラインで公開するのとは全く違う感覚がある。読み手の存在を認識、意識することはネットではほとんどないから。

直接褒められるとなんだかむず痒い気持ちにもなるが、これも醍醐味かと思う。

 何より、打上げでのお酒と肉は、この世の何よりも美味しい。これのためにイベントに参加しているようなものだ。

 

助力頂いた全ての方と読んでくれた人に感謝を。僕は今後書き下ろしの詩集は出しません。

が、詩人をやめるわけではないし、また何かの機会にどこかで僕の言葉を発表する機会はあるだろうと思っています。それまでは、僕の詩がどこまで届くのか、見守ろうと思います。

それでは、また。

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Illustrated by ほしたろう



Breed

電車が揺れて意識が半分だけ遠くなる、車体に身を預ける。

「あなたはいつか離れていってしまいそう」誰かが言う、きっと今までの女の人のうちの誰かだ。

僕は悲しくなって「そんなことない、ずっといるよ」とつかえる喉から振り絞って言う。僕は僕自身の気持ちに自信がないから精一杯本当のことを言おうとする。

「君と一緒にいるとき、君のことが好きだ。一緒にいないときにそう思うのは僕にとってはすごいことなんだ。」

誰かが呆れて笑う顔が見える。

 

白昼夢から醒める。

醒めてしまえばふわふわとしていた輪郭は形を持ち出して、誰が、とかどの時に、とか、はっきりと線が引かれる。

電車が途中停車したようだ、鉄橋の上でしばらく川を見つめる。

寝ぼけていたが、ここが多摩川であることはすぐにわかった。

今日、僕が見る川はきっと多摩川でなければいけなかった。

ああいっそ、夢のあの子と身投げしてしまえばよかったんだなと思った。

そこで全て終わらせたら、面白くはなくても綺麗な話にはなったかもしれない。

機会はいくらでもあったはずなのに、僕はそうしなかった。

耳につけたイヤホンは曲を聴くためではなく耳栓の代わりにしていた。

ふいに聴いた曲が彼女を思い出すような曲だったら、それこそ一人で身投げしてしまうからだ。

車掌のアナウンスが入る。細部は聞き取れないが発車する、ということだろう。

電車は動きだしてしまった、この電車はきっとこの先も終点まで走り続けるだろうし、僕はこの先の電車で別の電車へと乗り換える。

当たり前のように、ホームでじれったい思いをするくらいで。

最寄り駅のホームを踏んで「(離れていったのはやっぱり僕じゃなかった)」と思った

夏は真盛りで焼け付く体は中身も精神もボロボロでほとんど“生きてる”なんていえないのかもしれないけど、あのとき死期を逃した僕は生きていかなきゃいけない。

この感傷をちゃちな“失恋”なんて言うつもりはないし傷付いたと泣いて消化する気もなければ、傷付いてないなんて嘘で自分を守るつもりはない。

ただ、人生の可能性の喪失がある。

明るい、ありふれていて、それでいて幸せな未来。

僕の人生でそれが得られないというのがはっきりと分かってしまった

大きなものをなくした虚無感が体と脳、僕のすべてを支配する

酷暑になるという日の最寄り駅北口階段前には、立ち尽くした具合悪そうな青年と、現実を突きつける現実的な暑さと、青年が抱えた虚無があった。

ある、中毒者

─気持ちが悪い、寒さで震えが止まらない。
胃を掴まれてそのまま揺さぶられているような感覚が続く。
寒気からずっと震えて呼吸が浅くなるが、横隔膜が麻痺して呼吸することもままならない。
ハッ、ハッハ…と浅く息をしては不甲斐なさと吐き気にため息が混じる
「(俺はここで死ぬみたいだ)」
頭がそんな考えに支配される
実際死がすぐそこに立っていて、今か今かと手を引くタイミングを見計らっているのを感じる。

曇りがかった窓の外のビル群が、恐ろしく、奇麗に見えた─

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目が覚めると僕は新宿のど真ん中に位置する病院の最上階の病室に入院していた
病名は急性アルコール中毒。飲みすぎ。保険適用外の自業自得の病だった。

その日の僕は緊張しており、加えて徹夜で内臓は弱っていた。
そんな状況にも関わらず、僕はロックで飲み始めていた。
疲労で感覚が鈍っていたのか、酔いを感じず僕は速いピッチで酒を飲み進めた。
二店目に入ると気は大きくなり、コカレロというスピリッツをショットで5杯空けた。

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この日結局僕は2杯のロック、7杯のショット合間にカクテルを2杯程度飲んでいた、らしい。
らしい、というのはショットを飲んだ後の記憶が途絶えているからだ。
次の僕の記憶は、床に寝そべっている僕に、オーストラリア人が僕の名前を尋ね、やっとの思いで答えると、
しきりに名前を呼んで意識の確認をしようとしているところだった。
クラブの眩しい照明と外国人の大声がうっとおしいな、なんて思った。

世界が暗転して、明転した時はベッドの上に舞台は変わっていた。(酩酊して明転するだなんて)
救急搬送中の記憶はなく、着衣は乱れ、我ながらみじめったらしい様だった。

その後の僕はといえば、焦りからかうわ言のようなものを繰り返し(記憶はあるが内容は語らない)、
それが終わったかと思うと死んだように眠ったらしい。
迷惑な話だ

一時金の支払いを一人で済ませ、重い体を引きずって病院を後にした。
ゴミ溜めの新宿の朝はこれでもかというくらいにすがすがしく、
家の近所で見た燕の引っ越しには胸を打たれた。
これほどに生を実感したときがあっただろうか
愚かなことに人は、失う実感を伴って初めて今持つものの重要性に気付く。僕も例に漏れずね。

 

血中のアルコール濃度が0.4パーセントを超えると、死亡する確率は50%になる


酔いつぶれて反応が鈍くなった酔っ払いの半数が死ぬ、というのはピンと来ないだろう。
けれどそれは確かに起こる
脳が麻痺し呼吸が止まるか、吐瀉物が喉に詰まるかの違いで
そうなった酔っ払いはLive or Dieの5:5の賭けをやらなきゃならなくなる
そんな馬鹿な賭けはやるべきじゃない
自分の酒の強さや生命力の強さに自信のある御仁もいることだろう。
僕自身、悪運の強さには自信がある。
その自信は、慢心を生む。
チキンレースを楽しんでるだけ、崖に落ちるなんてヘマはしない』と

しかし、生と死、その二つには境界なんてない。
今際の際にガードレールはなく、先端はいびつな形をしてる
崖は真っ暗で見えないしスピードメーターは正確だとは限らない。


死は、レースを始めた時から隣に立っている。

 

僕はこれを書くにあたり自身の失敗を痛烈に反省した。
一人で飲んで死ぬ分にはまだいい、僕は友人といるときにこれをやってしまった
お酒を飲めば場は楽しくなるし、誰かといると飲んでしまいたくなるものだから。
けれども度を越せば死んで自身の命を失うか、生き残ったとしても友人を失うことになりかねなかった。
酒一杯で失うにはあまりにも勘定が合わない損失だろう。

僕は今後も酒を飲む、けれど、グラスを持つ僕の手に死の手が重なっていることを決して忘れない。

大切なものを失くすのには僕は若すぎるのだから─


蛇足

タイトルはアル中、とまんまだがaddictじゃなくてpoisoningのほう


「賢者は歴史に学び、愚者は経験に学ぶ」という言葉がある
僕はあまり賢い生き方をしてきていない。
今回のことでいくつか経験したことはそれなりに重要な意味をはらんでいたものだろうと愚者なりに思う。
失うものとひと、死との距離、入院費の高さ…etc
僕が自ら死ぬことは限られた状況でしかしないとは決めていたが、うっかり、でも死んではいけない。
人が死ぬということは少なからず影響のあるものだから。

意識が朦朧とする中、美しい光景を見た。
こんなものが見られてここで死んでもいいと思ったが、未練がでたのか次の瞬間には死んでたまるかと心の底から思った。
この詳細は、僕の心の内だけに取っておくことにしよう。
あの日少し見物をしてきた僕の、冥土の土産として。

昨日の俺に聞いてくれ

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アルバムの中で無邪気に笑う5歳の僕は、本当に僕なんだろうか? 小学生くらいの頃からその違和感に気が付いていたが「きっとよく覚えていないから実感が湧かないんだ」と幼少期特有の曖昧な記憶の問題として片付けていた。

でも、この年齢になってからどうやらそれだけではないらしいということが分かってきた。 これは確たる証拠があっていう訳じゃないが、

人は同じ自分を生き続けられない

朝家を出てコーヒーを飲む自分と、帰りにタバコを吸う自分は別の人間だ。 これは時間の非連続についての物理学の話を持ち出すまでもなく、脳が神経細胞以外入れ替わるから別人になるっていうハードの話でもない。

単純に共感が持てないんだ 一致感とか一体感と言ってもいいかもしれない。

僕達の記憶は非常に曖昧だ。(昨日の晩御飯が思い出せない人もいるかも!) 僕達の(少なくとも僕の)記憶は自分を自分として感じられる品質の記憶を長期間保持できない。

記事を読んでいる方に一つお願いだ、自分の中で一番古い記憶を思い出してほしい。 君は今、何を感じている? 映像としての記憶は思い出されるだろう、後付されたエピソードも出て来るかもしれない(親に聞いたり自分で紐付けたり) じゃ、質問しよう。 その時見てた物とかその時感じてたことを思い出せるだろうか?

―少なくとも僕は覚えてない。

じゃあ、いつからなら考えてた事とか見ていたもの話していた内容なんかを思い出せるんだろう?

今高校生の子は小学生の入学式の時、その日だけ話したクラスメイトの事と話した内容を覚えているだろうか? 大学生は中学生の時一瞬だけ流行った遊びを覚えているか? 社会人は学生時代何に悩んでどうやって解決を試みたのかその時の思考を思い出せるか?

―大体の人は無理だと思う。

僕達は危うい「なんとなく」の記憶を重要な自己の柱としている

ここまでは記憶の問題。

次に出る問題は、人の感情や思考は環境依存だっていうこと。

石抱きの刑の最中に明日のデートのことを考えてウキウキした気持ちになる人はいないし、最近悲しいことが全くないのにセンチメンタルな内容の文章を書くのは本当に難しい。

そして環境は変わる、環境が変われば感情や思考も自ずと変化する。

その時の感情や思考はその時にしか産まれない。再現が不可能な即興曲みたいなものなんだ。 障害になるのはこの2点。

人は以前のことなんて全然覚えてないし再現不可能な感情や思考なのにそれこそを自分たらしめるものだと思い込んでいる。

これって怖くないか? 

 

自分が自分だと言うことができなくなる不安定な状態に陥った時、人はどんな対策を立てるのか。

人は心理的に一貫した行動を取りたがる。ということは過去の「今と違う自分」は 非常に不都合な存在になる。

一貫した行動が不可能な場合、認識を歪曲し、記憶を改変することで過去と現在を調和させようとするかも知れない。

想像しづらいかも知れないけど、僕達は自分の人格をメタ的に捉えて、必要に応じてその修正を行うことがある。

例として「高校で進学校に入学し、スライド式の成績の低下によって真面目だった生徒がお調子者になる」とかが考えられる。

これは現在の人格の歪曲を行ってる。

過去の人格はどうやっても変えられないから、当時の自分のメタ認知を歪める。(実際は暗い性格だったのに)「友達は少なかったが明るいほうだった」とか美化を始める。

僕達はこうやって歪んだ認識のなかで暮らしている

これを虚構とは呼ばないけれど、完全な現実でもないだろう。

より現実らしいのはアルバムの写真1枚事に写る別々の僕だ。

 

時によって分断された自分。 不安定で無責任にも見えるかもしれない(その指摘は痛い)が悪いところばかりでもない。

 

僕は12歳の僕を他人だと思う。

記憶も朧気だし共感もできない

だが、一番世話になったのは彼だ。

彼に「よく仲間を作ってくれた」と感謝をする。バトンを持ち続けたことに敬意を払う。

他人ではあるが、他人だからこそ感謝することができる。

一番身近な存在だからこそ、彼に恥ずかしい所は見せられないと常に格好つける 。

彼には誤魔化しが効かないのだから――

怒りと友達はお金にならない

最近何で怒ったか思い出してみてほしい
友達に約束をすっぽかされた?彼氏彼女が浮気をしてた?上司に理不尽に怒られた?あるいは親に?
人が怒るシーンは様々あるだろう。
でも、この記事ではもう少し繊細で厄介な怒りのことについて書きたい。


人はなんで怒る?簡単だ、自分が不利益を被るのは嫌だしストレスがかかるのも嫌だから強い意思表示をしなくちゃならない。
―本当に?
多分そればっかりじゃない。

時に、僕は自分の好きな人が馬鹿にされたり傷付けられたりしたとき、激怒する。
断っておくけど僕は対外的には温厚な人間だし、他人を信奉して執着する、所謂過激派的な人間でもない。(共感性は高いかもしれないけど)
ではなんで僕は他人の不利益なんかで怒るんだろう

それは好きな人っていう存在が厳密に他人ではないというのがあるだろう。親しい人を自分の一部と思う気持ちは誰にでもあると思う。
だが、好きな人は自分の一部でありながら他人なんだ。
悲観論に見えるかもしれないけど、僕は他人の気持ちは絶対に理解できないと思っている。
何に傷付いて何は平気か、僕達は相手の出すシグナルを読み取ってトライアンドエラーで経験をしていくことでしか好きな人のことを理解できない。
そんな、「自分の一部だけど理解できない」ものが傷付けられとき、僕達はどうなる?

痛みのレベルが分からないから最大値でストレスがかかる。
最大限の意思表示をする。
つまりブチ切れる。
これが好きな人が傷付けられてブチ切れる人のメカニズムだと思う

余談になるけど僕は好きな人のひどい自虐を聞くも好きじゃない。悪く言うのが他人であれ本人であれ、好きな人の悪口を言って欲しくないからだ。

幕引きだけの人生なのか

人生が一つの舞台なら、大勢の人生が絡み合う文化もまた、りっぱな舞台だ。
僕はその舞台を見る時は決まって遅れて行って、たどり着いた時には幕は落ちカーテンコールの素の役者だけが見えるだけだった。

レイヴ、個人サイト、掲示板文化、ニコニコ動画、脱法ハーブ、浄化前の秋葉原・新宿。
僕がインターネットに初めてアクセスしたのが2005年とかだろう。当時はまだYahoo!サーチエンジンでは主力だったが、Googleの検索精度に押されていた印象だった。
ブラウン管のディスプレイ越しには子供にも分かる熱気があったし僕はその世界に夢中になった。
初めて秋葉原に行ったのも同時期だ、当時は露店が道路に出ていたし(もちろん売ってるのは綿菓子じゃなくてグレーなガジェット)上野から流れて来たらしいホームレス風のおじさんがいた。
人の多さに酔ったがそれ以上に大小様々な電子部品と看板替わりの電飾でハイになっていた。
いい街だった。
「だった。」もう過去の話だ
今の秋葉原はメイドが通りに立ち並び3mおきに甘い声で呼び止められる街になっている。
露店はもうないしホームレスもいない、メガネをかけジーンズメイトユニクロで身を包んだ判押しのオタクもいない。古くからのパーツショップはチェーン店の鎖で締めあげられどこかに姿を消した。
彼らはどこに行った?僕は幕引きに立ち会った

本当にクソだ。良いところでいつも終わる
そのクセ残り香だけはいつまでも残る
僕は文化を守れなかった上の世代を身勝手に批判する。僕には舞台によじ登る時間も与えられなかったからだ。
僕がその時舞台にいたらと、たらればを考えてしまう。

だが、「クソだ」と喚くだけでは僕は本当のガキになってしまう。チャンスはまだある
文化は滅び、再興する。
僕は自分の乗っかれるムーブメントを、文化を見つけたらその庇護者に喜んでなろうと思う。
もっとも、僕は近くの海の波の動きも読めず飛沫を被り、舞台でもマリオネットみたいだった訳だが。
いつか幕開けに立ち会えると信じて